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そして、避けて通れないのが「孤独」という名のイベント。治療中の孤独は、まあ、わかりやすかった。けれど、回復期の孤独はクセが強い。元気になったと思われることで、逆に取り残される感じがするのよ。「もう大丈夫でしょ?」「乗り越えたんだから、前向きにね!」という、善意100%の言葉が、なぜか一番ツラかったりする。
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2025年 07月 12日
![]() そして、避けて通れないのが「孤独」という名のイベント。治療中の孤独は、まあ、わかりやすかった。けれど、回復期の孤独はクセが強い。元気になったと思われることで、逆に取り残される感じがするのよ。「もう大丈夫でしょ?」「乗り越えたんだから、前向きにね!」という、善意100%の言葉が、なぜか一番ツラかったりする。 #
by 1173_y
| 2025-07-12 05:55
| 癌
2025年 07月 09日
![]() FIRE(Financial Independence, Retire Early)---- 最初の一年ぐらいは旅行したり、欲しかった車を買ったりで良いんですけど、その後 自由の喜びと同時にやってくる ある種の空虚さ。社会とのつながりが希薄になり、孤独感や、自分の存在意義がわからなくなる そんな心の揺れを抱えはじめます。それまで労働や経営というかたちで、彼らは「価値を生み出すこと」によって社会とつながっていました。それがリタイアと同時に断たれ、「自分にはもう社会的な役割がない」と感じてしまう。特に、社会性をしっかり築いてきた人ほど、このギャップに苦しむ傾向が強いように思います。 社会というのは、自分から関わっていく「能動性」があって初めて成立する。そう考えると誰かの役に立つ、自分の価値を提供する――そういうプロセスがあるからこそ、周囲も信頼や共感で応えてくれる。ただお金を持ち 消費するだけの人には、残念ながら人は集まらないのよね。深いつながりは、そこからは生まれにくい、そう感じるんです。 だから私は思うのよ。FIREは目的ではなく「その先」を見据えるための手段にすぎないのではないか?と。もちろん、FIREの過程には大きな価値があります。金融リテラシーを高め、労働の切り売りから解放されることで、時間と心の自由を手にする。投資や資産運用による経済的自立は、多くの人にとって必要な「選択肢」を増やす鍵になります。 けれど、何もしない自由を手にしたそのあとに、その自由をどう使うのか?この問いに向き合わないままでは、自由はかえって人を不安にすることがあるのです。だからこそ経済的自立のその先に、「新しい方向性」や「新しい役割」を見つけていく。 私自身も、完全なリタイアより、「セミリタイア」や「プロジェクト型の働き方」の方が、精神的にも人間関係的にも健全だと感じます。社会との接点を持ちつつ、自分のペースで関わる。誰かと一緒に価値を生み出すことを、やめない。その中に、人としての充実感や安心感があるように思うのです。その為にはコチラも磨き続ける必要はあるんですが…、あくまでも私の考えですけどね。 #
by 1173_y
| 2025-07-09 12:55
| ひとり言
2025年 07月 08日
![]() どうして私ばかり——。 人との関係のなかで、なぜか自分ばかりが疲れていたり、傷ついていたりするのか?誰かを思って動いたのに、気づけば心がすり減っている。優しさのつもりが、なぜか報われない。そんな経験が重なると、自分の感情すら信じられなくなってしまうことがあります。実はメンタルが乱れやすい人には、ひとつの共通点があると言われています。 それは——他人への関心が強すぎるということ。 人に期待すれば、裏切られる。 その結果、都合よく扱われ、最後には自分がボロボロになってしまう。 でも、それは必ずしも相手が悪いわけではなくて——「関心を向けすぎた自分」が、ただ疲れてしまっているということも少なくないのです。「相手のために」と思って動いてしまう。その気持ちは、本物だと思います。誰かを大切にしたい、助けたい、寄り添いたい。その優しさは、まぎれもなくあなたの美しさ。だけど、必要以上に感情を預けすぎると、自分の調子が崩れてしまう。 これは、自分のためにも、そして結果的には相手のためにもならない。とくに、子どもの頃から親の顔色をうかがって育ってきた人や、常に「いい子」でいるよう求められてきた人は、他人に気を配りすぎるクセが無意識のうちに身についてしまっている場合があります。その延長線で、大人になっても「相手ありき」で心が揺れやすくなるのです。 では、どうすればいいのでしょうか?「相手を大切にするけれど、相手に無関心である」という不思議なバランスが大切なのだと思います。無関心になる、というのではなくて、必要以上に踏み込みすぎない距離感。一歩引いて「まあ、そういう人もいるよね」と受け流す心のスペース。それが、メンタルを安定させる鍵なのだと思います。 そして、もうひとつ。「信じていたのに裏切られた」とメンタルが揺れるとき、その裏には、「信じる」という言葉の履き違えがあるのかもしれません。本当の「信じる」は、他人に期待することではなく、その人を信じた自分の決断と覚悟だと思っています。 人間関係 まず自分を優先してみる。いかがでしょうか? #
by 1173_y
| 2025-07-08 05:55
| ひとり言
2025年 07月 07日
![]() 「自分が2人いたらいいのに、いや私よりもっと優秀な人間がいてくれたらいいのに」って思ったことありませんか?今、私 その状態にかなり近づいています。AIを「もう一つの頭脳」として日常的に使うことで、自分の思考を補完し、視野を広げ、判断スピードを上げることができるようになったからです。そして、ハードワークや地道なチェック作業は、相変わらず「自分」が担当。 仕事柄 日々さまざまなデータを見ていて感じるのが、大手企業であっても「んっ?」と引っかかる数字が出てくるということ。数字って面白いもので、ずっと見ていると「違和感」が浮かび上がってくる瞬間がある。たとえば、広告の費用対効果。あるKPIがやけに良すぎるとき、その裏には「何か」が隠れていることがある。人は、数字を使って都合よくストーリーを作るが、その数字を追いかけていくと、たいてい矛盾が出てきます。そして、その矛盾の先には、やっぱり「嘘」が発見されること多いのよね。 そんなときに役立つのが、もう一人「頭脳」としてのAI。AIは、大量の数字の中から異常値を見つけたり、論理の矛盾を素早く指摘したりするのが得意。でも最終的に「これは怪しい」と判断するのは、現場感覚や経験に裏打ちされた「人間の勘」AIだけでは足りない。でも、自分だけでも見落とす。 ただ先日 米国フォード・モーター CEOが経済フォーラムにて「ホワイトカラーの50%がAIに取って代わられる」と発言したとのことですが、私も同じ意見。ここ数年でこのコンボ↑Workも大幅に変化していきそうな予感がするのよね。
日々の生活や仕事の記録、皆さんはどうしていますか?私はなるべく数字で記録するようにしています。「気分」や「よかった」みたいな感想ではなく、「◯件完了」「歩数1万歩」「作業時間3.5時間」などの具体的な数字です。 これはもう完全に自分の性格なんですが、数字が残っていると「あ、今日はちゃんとやったな」と納得できるんですよ。ww逆に、いくら頑張った気がしても、数字がゼロだとなんとなく落ち着かない。感情の記録はふわっとしてて、あとから見返しても「で、何したんだっけ?」となってしまう。 もちろん、これは正解がある話ではありません。「日記をつけるのが楽しい」と感じる人もいれば、「気分の波を言葉で整理するのが好き」な人もいると思います。でも私は、数字の記録=事実の積み重ねのほうがしっくりくる。 一日のタスク数、ウォーキングの距離や費やした時間、それも最初は微々たる数字ですが、積み重ねると確かな足跡になります。「今日はこれだけやった」「この一週間でこれだけ動けた」数字が示すのは、言い訳抜きの自分の行動履歴ですから! #
by 1173_y
| 2025-07-07 00:05
| ひとり言
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